人の世

こんばんは

卒制展の時期ですね。Twitterにはいろいろな作品と展覧会が流れてきます。

たまに設計者によって建築物や模型が「我が子のよう」と表現されることがありますが、私も全くその通りだと思います。自分はまだ親ではないので本当のところはわかりませんが、「我が子」はその親のものではないと思います。卒業設計の賞レースなどを見ていて、どうしても気持ちが悪いと感じてしまうことがあります。それは非常に細かく、どうでもいいことかもしれませんが、

受賞結果の記載に関して作品名の前に制作者の名前が記載されていること

です。私の個人的な考えでは、受賞したのは制作者個人ではなく作品です。ただしここで対象にしているのは学外の賞レースの場合です。学内の審査に関しては、その人の「卒業制作」を通してこれまでの学びと努力を審査し、評価するものであると思うので、「人」が評価されることに異論はありません。しかし、学外の審査に関しては表現を含めた一つの「モノ」に対して議論が行われるのであり、制作物という「モノ」が共感を呼び評価に繋がっているのだと思います。

自分の子供が学校のマラソン大会で一位になったとして、それを自分の履歴書に書く親はおそらくいないでしょう。

重箱の隅をつつくようなことを長々と書いてしまいましたが、親にとって自分の子供が1番かわいいように、結局誰のどんな卒制と比べても自分のものには敵いません。だって、自分の自分による自分のための「モノ」なのですから。

 

今日の一曲

Suglawd Familiar (OHZKEY×Vanity.K) - "Longiness"

https://youtu.be/iO2-QgebNhs

クセになるフックと高校生とは思えないリリック。刺激とやる気を貰えます。